自分の中で避けて通れないことなので、真面目な話をします。
当サイトや本に書いていた説明書きのうち、
同性愛表現の項目についての話です。
「書きたくない説明書きを書かない」選択をできるようになるまで、
時間がかかってしまったことを非常に悔いています。
恐怖は目を曇らせます。
自分が守りたいもののために
自分の意志を曲げずに立ち向かえる人間になりたいです。
私が同人誌で同性愛表現に関する説明書きを始めたのは、
2017年11月23日に発行した既刊「Dirt or notDirt 7」からでした。
(2022年11月6日以降に出した既刊では書くことをやめています)
私がこの説明書きを書くか、書かないか、
書かざるを得ないのであればどう書いたらいいのかで悩み始めたのも、
この本の原稿を制作しているときでした。
私は以下の理由で、できるならこの説明書きを書きたくありませんでした。
①作品内で他の何かを大切に思っている彼らの気持ちと存在を
踏みつけにしていることになる
説明書きに書きたくなかった一番の理由です。
作品内の彼らが何かを大切に思う気持ちを、
「人目から遠ざけないといけないような嫌なもの」
みたいに扱いたくありませんでした。
②現実にいる人にも嫌な思いをさせる
「現実にいる同性を好きになる人のことを考えてない説明書きだ」と、
自分がBL・GL要素のある本を出す側になって感じました。
自分も過去に好きになった人が同性だったことがあったので、
「何故こんな文を自分が書かねばならないのか」
「他の同性を好きになったことがある人は、この説明書きをどう思うか」
という思いがずっとありました。
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それならば、なぜ「同性愛を含む」という説明文を書いていたのかというと、
私が同性愛を嫌う人たちに対して恐怖を覚えていたのが、最も大きな理由です。
「どんな言葉を投げられるかわからない」という見知らぬ相手への恐怖に加え、
過去に私の身近な人たちから、同性愛者への嘲笑や嫌悪の言葉を
直接・間接的に聞いた経験があり、
(読んで気分のいい話ではないので詳細は伏せます)
「未知の恐怖+具体的な恐怖」の二つから逃げ隠れることを選んでしまいました。
でも、それは偏見を持つ人や差別をする人からの
「不快だから隠れていろ」という圧力に
屈していたんだと、今なら思います。
そう思ったきっかけは、2023年2月に同性愛に関する発言のニュースを見てからでした。
(同性婚・性的マイノリティについて
「見るのも嫌だ」「隣りに住んでるのもちょっと嫌だ」
と当時の首相秘書官が発言したときのニュースです。
詳しいことは他所のニュースサイト等をあたってください)
発言内容を知って「今まで、私はあのような人たちを怖がって、
あのような人たちに気を使った説明文を、
大切なものを傷つけてまで嫌々書いていたのか」
とハッとしました。
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そもそも、考えてみれば
誰も傷つけない・不快にさせない表現がどれほどあるでしょうか。
私は作品を作るときに、選べるなら読んで嫌な思いをする人が
なるべく少ない方の表現を選んでいます。
しかし、特に紙の本にした漫画で、
読んだ人のうち、いくらかの人に
「ウッ」とダメージを負わせてしまう可能性が高い表現を
過去にいくつも描きました。
それでも描きたいもののために、
それらの表現を描くことを選んで完成させました。
自分の描いたもので、誰かが不快な思いをするかもしれない可能性を
考えた上で世に出しました。
自分はそうすることも選びながら創作活動をしてきた人間なのに、
恐ろしさと、周りがそうしているから、他にどうしたらいいかわからないから、
といった理由で、本の原稿制作中にどんなに毎回悩み苦しんでも
結局は説明書きのページに同じような内容を書いていました。
自分が弱い人間なばかりに、
自分が「嫌だ」と思う人間の顔色を伺うような
説明書きを書き続けたことを後悔しています。
私のサイト・本の説明書きで不快に思われたことがありましたら、
申し訳ありませんでした。
そして、創作作品内の彼らにも謝りたいです。
「彼らがいなかったら、出会えなかったら」と思うと恐ろしくなるくらい、
これまで彼らの存在に救われてきたのに
恩を仇で返すようなことをしてしまっていました。
本当に申し訳ないです。
創作に救われてきた人間として、
胸を張って彼らを描ける作者でありたいです。
余談ですが、実はこれまでに何度も、
このサイトの日記で今回と同じ内容について書こうとしましたが、
なかなか上手くまとまらず、
悩み始めてからここまで描けるようになるのに6年かかりました。
しかも「自分が怖い目に遭いたくない」と恐怖に目が曇り、
「作品内の彼らを、嘲笑ったり嫌悪したりする人間の目に触れさせたくない」
と欲張ったために問題を自分の中で複雑にし、
「自分がしたくないことをしない」選択ができるまでに時間がかかりました。
振り返れば、守りに入りすぎていました。反省しています。
ここ数年、自分の生活の中で
「何かを守ることは難しい」と感じることがたくさんありましたが、
今は「何かを大切にする上で、それを守ろうとすることが
必ずしも正しい手段ではないのかもしれない」と感じます。
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最後に、創作作品に「同性愛を含む」と明記することについて、
「こうすることが正しい」という明確な答えを、私は知りません。
そして、他の人にもそれぞれ、その人自身の考えや事情があると思います。
なので、他の人に自分と同じようにしてほしいから
この日記を書いたわけでは決してありません。
この日記は、せっかく私のサイトや本と出会ってくださったのに
説明書きで不快な思いをさせた方がいたら謝りたかったから、
そしてちゃんと自分の作品に向き合って、
作品の向こうの彼らにも謝りたかったから書きました。
自分のサイトはできるだけ楽しい場所にしたかったので
この話を書くか、ここに書いていいのかどうか迷いましたが、
自分の中で避けて、うやむやにしたままにできませんでした。
これで前に進むことができます。
長文になってしまいましたが、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。